第2回インタビュー:
mojaさん
インタビュー
2018.10.18記事更新
第2回インタビュー:  mojaさん
このインタビューは、どんな人たちがまち会議に参加しているかを紹介する企画です。前回の話者が次の話者を決めるリーレー形式で進むインタビュー。第2回目はmojaさんです!mojaさんはインタビュー当時、吉備中央町でお仕事をしていたので、吉備中央町までインタビューに伺って来ました。
すぎ
前回たまちゃんのインタビューで、次に誰をインタビューすればいいかと尋ねたところ、mojaさんのご指名が入りました。
moja
ありがとうございます。
また、わざわざ遠く吉備中央町まで来てくれてありがとう!
すぎ
いえいえ、来る山道のドライブ楽しかったです。選ばれた理由は、「何かいろんなことをしてそうで面白そうだから」ということです。いろんな場所に親子で連れて行ってもらったり、moja coffeeをご馳走してもらったり、moja mountainに連れて行ってもらったりしたのが楽しかったそうです。自給自足を試みている生活も興味があるそうです。
インタビュー当時吉備中央町でネットショップ運営の仕事をされていた
moja
楽しんでもらえたようでよかった。ちなみにmoja mountainは笠岡の家の裏山ですね。
すぎ
あ、そういうことでしたか(笑)。 さて、mojaさんといえば、まずその風貌が特徴的すぎですよね(笑)。ぼっけーまち会議のFacebookページでmojaさんが野球をしている写真があるのですが、もはや異国のバッター。笠岡のバースなんてコメントもあったようですね。

すぎ
そして自らをmojaと名乗り、いろんなmoja○○があったりして、もはやこれを読んでいる人はすでに何のことやらさっぱりわからないよ!と、なっている人が続出している気がします。ということで、まずはmojaさんの生い立ちとなぜmojaと名乗るようになったのかを教えてもらえないでしょうか?
笠岡のバースは健在か、有り合わせのセットで再現してみた
moja
俺は今はこういう出で立ちですが、高校は笠岡商業に通ってた普通の高校生でしたよ。ヒゲももちろんこんなんじゃないし、髪はスポーツ刈りでしたし。
すぎ
おおー、想像がつかないけど、普通の高校生!
moja
高校を出て、大阪ビジュアルアーツ専門学校に行って写真を習い、卒業後は東京の恵比寿にあるスタジオに就職しました。そこでは小物から車、人物、また写真以外にCMなどいろんなものを撮影できてスタジオも10個以上あるようなところで、広告の写真において一通りのことを実務として学ぶことができましたよ。
すぎ
なるほど、mojaさんの職業はカメラマンだったのですね。
moja
そして恵比寿で4年働いた後に、フリーのカメラマンとして活動し始め、1年くらいしてからニューヨークに4年行きました。
すぎ
おお!ニューヨーク!でもなぜですか?
moja
語学留学ですね。ニューヨークには25歳の誕生日前に行ったんですよね。そしたらホームステイ先でまず誕生日を祝ってもらえて。お寿司とか用意されて、すげえうれしかった。
すぎ
不安な時に、暖かく迎えてもらえて思い出深い誕生日になったんですねー。 語学留学ということですが、なぜ社会人を5年やってから行こうと決意したんですか?
moja
恵比寿のスタジオ時代にお金を貯めてたんです。カメラマンとして仕事をするには、最初にカメラとか機材を買わないといけないので、お金を貯めたんです。 そしていざフリーのカメラマンになって買い揃えようかと思ったときに、なんかしっくりこなかった。本当にこのまま東京でカメラマンになって自分にとっていいんだろうか?と思ったんだよね。カメラマンってモデルとのコミュニケーションができて初めていい写真が撮れると思ってて。相手が外国人だったら今の自分ではいい写真が撮れないなと思って語学留学でニューヨークに行ったんです。で結局、ニューヨークに行ったからこそ、今のこの着地点にいるんだと思うけども。俺はそれで間違ってなかったと思ってるよ。
すぎ
うんうんうん、いや〜、すごく生き生きしてますよ。 そしてニューヨークで4年暮らした後に笠岡に戻られたんですか?
moja
いや、帰国後は栃木に十年近く暮らして、そして2年前に笠岡に帰ってきました。栃木に行ったのはその時の彼女が住んでいたからなんだけど、栃木では古着屋をやってた。ニューヨークで古着屋さんと仲良くなっていっしょに買い付けとかに連れて行ってもらったりしてそのよしみもあって栃木で古着屋をしたんだよね。 あ、このあたりから髪やヒゲを伸ばし始めたよ。
すぎ
とうとう、mojaと名乗り始めたんですね。
moja
うん、でも初めはmojaoで「o」がついてたんだけど色々と字面や組み合わせを考えると「o」はない方がいいなと思ってmojaになりました。あと、栃木にNGOのアジア学院があってそこのコミュニティと仲良くなって自給自足に興味を持つようになったね。

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